備中国新見庄

新見市内で当時の荘園のロマンを感じる物は多数あります。特に当時の荘園を舞台に書かれた「たまがき書状」は当時の様子を記した書物ではないでしょうか。

備中国新見庄


新見庄は東寺の荘園

京都教王護国寺 東寺

新見庄はどこ?

 新見庄は備中国北部、現在の新見市周辺。新見市西方付近から新見市千屋(ちや)、神郷町高瀬に広がる大きな荘園でした。平安時代の末期の十二世紀後半、平安 時代末期に最勝光院領として成立。新見の地に荘園が開発されました。新見庄は、その後何度もの変遷を経て、鎌倉時代の末期、後醍醐天皇により京都の寺(教王護国寺)へ寄進され、以後十六世紀の後半に消滅するまで中世の時代に240年間にわたり東寺領荘園として存続しました。新見庄は、幕府方(地頭方)の寺、相国寺の荘園と、領家方の東寺が治める荘園とに分かれていた。その当時、東寺や興福寺のような大寺院の場合、各地に多数の荘園を持っていました。それぞれの荘園から収納した年貢が、寺院全体の運営費用になります。



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